2/29/2012

東京避難も検討の事態、英米テレビでは「メルトダウンの内側」をドキュメンタリーに

 

2012年2月29日(水)11:50

英語メディアが伝えるJAPANなニュースをご紹介するこのコラム、今週も東日本大震災と原発事故についてです。「3/11から一年」が近づくに伴い、当時と今を振り返る特集は英語メディアでも増えていますし、民間事故調査委員会の報告書についても複数の媒体が取り上げました。英米では原発事故の最初の9日間を振り返るドキュメンタリー番組も放送されています。「3/11」は世界にとっての悲劇なのだと、改めて思います。(gooニュース 加藤祐子)

○ 「東京の避難も検討」と米紙

「3/11から一年」を前にした2月27日、東京電力福島第一原発の事故原因を民間の立場から調べる「福島原発事故独立検証委員会」(北澤宏一委員長)による報告書の内容が明らかになりました。内容については日本の各紙が報じています。また、調査の主体となった財団法人日本再建イニシアティブのホームページはこちらです。

日本各紙の論調は、原発行政批判を軸にしたものや、官邸対応批判を軸にしたもの、あるいは「菅直人批判」を主眼に置いたものなど色々で、各紙のカラーが出ていました。私はというとこのニュースを最初NHKで知って、「"東京でも避難必要"の危機感も」という部分に焦点をあてたリポートに、200キロや300キロ圏内の避難も考えたという菅直人前首相の発言を思い出していました。

NHKによると、当時の枝野幸男官房長官も、「東京でも避難が必要になる『悪魔の連鎖』が起きるおそれがあると思った。そうならないよう押さえ込まなければいけないと考えていた」と民間事故調に心境を明かしていると。そして報道によると枝野氏は28日の閣議後会見でこれについて、「3月14日から15日にかけての当時の心情を申し上げたもので、例えば東京が避難せざるをえないようなことになるかもしれないという危機感を持って仕事をしていたということだ」と発言したとのことです。

27日付の米紙『ニューヨーク・タイムズ』も、「東京の避難も検討されていた」というこの部分を見出しに取り上げていました。

マーティン・ファクラー東京特派員は、「原発事故を受けて最も暗澹としていた最悪の時」という書き出しで記事を開始。「in the darkest moments」は慣用句です。「最も暗かったあの当時」という直訳でも意味は通じるかと思いますが、つまり「最悪が懸念されていた時」とか「失意のどん底にあった時」などの意味で使います。そして記者は、日本の指導部はその当時「原発の実際の被害程度を知らず、公には懸念を抑制的に伝えつつも、東京避難の可能性を秘密裏に検討していた」ことが示されていると書いています。

さらに、原発事故に対する懸念がピークに達した3月14日~15日の頃、当時の枝野官房長官が「1(福島第一)がダメになれば2(福島第2)もダメになる。2もダメになったら、今度は東海もダメになる、という悪魔の連鎖になる」、「そんなことになったら常識的に考えて東京までだめでしょうと私は思っていた」と民間事故調に証言した内容が、そのまま引用されています。

記事は、日本再建イニシアティブ財団の理事長で以前は朝日新聞の主筆だった船橋洋一氏を、「日本で最も尊敬されている公共分野の知識人の一人」と形容し、船橋氏が中心にいたからこそ、この民間事故調に政府首脳や幹部たちが協力したのだと説明。そして「私たちは最悪のシナリオをギリギリ回避した。国民は当時そんなこと知らなかったが」という船橋氏の言葉を紹介しています(英語は"We barely avoided the worst-case scenario, though the public didn't know it at the time")。そして政府が危険の全容を国民や同盟国アメリカにつまびらかにしなかったせいで、国民の不信を招き、アメリカの不信も招いたという船橋氏の批判も紹介しています。

それでも尚、福島第一からの職員撤退を主張する東電を菅氏が叱責したことを船橋氏は評価。「Prime Minister Kan had his minuses and he had his lapses, but his decision to storm into Tepco and demand that it not give up saved Japan (菅首相には欠点もあったしどうかと思う時もあったが、東電に乗り込んで諦めるなと要求したおかげで、日本は救われた)」というこの言葉で、記事は締めくくっています。3/11後の混乱をほとんど全て菅氏個人の責任に帰結させようとするかのような一部の論調とは、かなり対照的です。

同じ民間事故調報告を受けて米CBSニュースは、「日本の原発危機中、政府は『崩壊』と報告」という見出しで、3月11日の「悲劇的な日に起きた原発メルトダウンの詳細はようやく表に出始めたばかりだ」と指摘。記者は民間事故調の報告書に書かれた福山哲郎内閣官房副長官の言葉を拾い、通常の指揮系統が完全に破綻していたと証言していたことや、専門家の説明を聞いてもこれがチェルノブイリになるのかスリーマイル島になるのか誰もはっきり答えを出さなかったと語っていたことなどを紹介しています。そして福山氏もまた、東京と周辺の計3000万人の避難を要する事態になるかもしれないと政府は恐れていたと話していると。

さらに船橋氏はCBSニュースの取材にも答え、問題の大半の責任は東電にあり「この原発事故について驚くほど何の用意もできていなかった」と語ったそうです。

○ 英米で迫力の「メルトダウンの内側」
民間事故調報告に関する話題以外にも「3/11から一年」を前に特集を組むマスコミは多く、たとえば英BBC Twoは2月23日に「Inside the Meltdown(メルトダウンの内側)」という1時間のドキュメンタリーを放送しました(制作はQuicksilver Mediaというイギリスのドキュメンタリー制作会社)。そしてアメリカの公共放送PBSもこれを「Inside Japan's Nuclear Meltdown(日本の原発メルトダウンの内側)」という題にして、28日夜に放送(以下、私は主にBBC放送版をもとに書いています)。


番組は、3月11日からの9日間を1時間に凝縮して振り返っています。福島第一原発の完全メルトダウンを防ごうと戦った人たちを丁寧に取材して。当 時の記録映像に後日撮影した映像を織り交ぜて。

当時を振り返って語るのは、たとえば「この浜には地震がくれば津波が来る」と承知していた地元の漁師。「3 号機が爆発した時は、もう終わりだなと社員の人たちも言っていた」と語る元原発作業員。「日の丸を背負ってあの発電所で戦わなくてはいけないと思った」と 語る現作業員。

さらには、燃料プールに上空から放水するため、「誰かがやらなきゃいけないんだったら、一生懸命がんばってきてください」と泣く妻に送り出された自 衛官。「いつでもそういう時にはそのまま現場にいく」と家族を教育しているので家族には連絡せずに、現場入りした消防隊員(任務終了後に家族から「電話一 本くらい」と怒られたそう)。

津波で見失った家族を探そうにも、ベント前に避難を迫られ、助かった長女を守るために大熊町を離れた父親。SPEEDIの放 射能影響予測データが公表されなかったせいで、線量のより高い地域へ避難してしまった子連れの妊婦。避難から間もなく赤ちゃんが無事に生まれた時、「思わ ず指を数えた」と語る父親。


そして菅直人前首相。番組のナレーションは、1号機の水素爆発を受けて政府は「格納容器に損傷はないと強調していたが、舞台裏では、事態が手に負え なくなっていると知っていた」と説明。そこで菅氏は、「最悪のケースは250キロ、300キロという範囲まで逃げなきゃならないと想定していた。そうなる と首都圏が機能麻痺し、事実上日本が機能麻痺しかねないと」と取材に答えています。

そして東電幹部。東電の小森明生常務は3号機爆発後の撤退するしない議論について、「プラントの状況によっては一部保安の人をのぞいて退避を検討すると国には伝えた」と語っています。

「東電は完全撤退するつもりだと聞かされて東電本社に乗り込んだ」菅氏は、この夜のことについて番組でこう語っています。「撤退はありえないと、も ともと思っていた。撤退とは6つの原子炉と7つの燃料プールを放棄するということで、それは全部がメルトダウンしてチェルノブイリの何十倍と言う放射性物 質が放出されることになる」、「見えない敵に日本の領土を譲り渡すようなもので、それで起きる影響は日本だけでなく、世界に及ぼすから」と。


そして自衛隊による空からの放水があり、東京消防庁による地面からの水注入があり、線量が下がり始めたところで、作業員たちが冷却水用パイプ敷設の 作業を開始。メルトダウンはぎりぎりのところで止まった、と番組は説明します。「東電は、燃料はコンクリート容器の底でやっと止まったと考えている」と。 紙一重だったと。


日本人としてはたとえ既知の内容だったとしても、あの9日間を淡々とした編集とナレーションでこうやって凝縮して見せられると、改めて、いかにギリ ギリだったのかが迫ってきます。制御室のホワイトボードに恐ろしい経過を書きつづる筆跡の乱れ、人々の表情、息づかい、線量計の音。そして波の音。派手な 演出はなく、あくまでも淡々と。政府も東電も実は12日の時点ですでに「炉心溶融」の可能性は認めていたの で、「メルトダウンを後になるまで認めなかった」と言い切るくだりはいささか残念でしたが、それでも総じて優れたドキュメンタリーだと思いました(インタ ビューのほとんどは日本語です。


BBC放送版は日本人の言葉は字幕で訳していてるのですが、PBS版は吹き替えをかぶせているので残念ながら聞き取りにく いかもしれません。そのPBS版はこちらです)。

BBCはこのほか、3月1日には「Children of the Tsunami」という番組を放送予定。米PBSも2月29日には地震と津波と原発事故を取り上げた番組「Japan's Killer Quake」を放送予定です。

CNNでは震災直後から東京や被災地で働いた国際赤十字職員が、被災者の様子を語っています。原発の警戒区域から仮設住宅に避難を余儀なくされた78歳の女性が、ふだんは明るくしているけれども、ふとしたことから「村に帰りたい」と涙を流す様子など。さらにCNNは、宮城県塩釜市の浦戸諸島にある桂島で、漁師の小泉善雅さんと仲間たちが、カキ漁を復活させようと一口オーナー制度を立ち上げ、奮闘する姿も紹介しています。


そしてもちろんこれ以外にも世界各国でテレビをはじめ様々なマスコミが、震災1年、そして原発事故1年を振り返る特集記事や番組をこれから発表するのでしょう。


○ カメラの用意を
1年前を振り返るのに、複数の新聞が使っている手法が、写真の比較です。先週も英タブロイド紙『サン』の写真比較記事を紹介しましたが、その後も、ネットにはそういう企画が次々と登場。


たとえば英紙『ミラー』は ロイター通信の配信写真を使って、当時とその後の光景を比較。「津波の一周年が近づく中、これらの写真はいかに日本の人たちが自分たちの手で破壊された土 地を取り戻そうとしているかを描いている。被災した地域にまた人が住めるようにするため、ボランティアや政府組織は疲れ知らずに働き、徐々に国を再生させ ている」と書いています。


そして米誌『アトランティック』の サイトが配信写真を使って、20カ所について3/11と今の姿を並べています。当時の写真が映し出す破壊の光景をクリックすると、最近の姿に様変わりしま す。魔法のようです。先週も書いたように、写真の外にはまだたくさんの苦しみと悲しみと不安があります。写真フレームの中で水が引いた、大きな瓦礫が撤去 された、それすなわち復興では全くないのだけれども。大きな瓦礫がどかされた後に細かな生活の痕跡がたくさん埋まっているのは、私も実際に見てきたし、自 分の手で掘ってきました。けれども1年で日本はこれだけ進んだと世界に見てもらうのは決して無意味ではないと思います。


そして最後に、映画監督リドリー・スコットとトニー・スコットの兄弟が、YouTubeとフジテレビと合同で「2012年3月11日」を記録する「Japan In A Day」という企画を立ち上げました。

3月11日のその日、日本のどこにいて何をしているか、何をしていても、映像で記録して、投稿してくださいと。「Get your cameras ready(カメラを用意して)」。
3月11日はもうすぐです。

http://news.goo.ne.jp/

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