12/15/2011

東日本大震災:命の煙突残したい…しがみつき津波に耐えた

 



屋上の煙突に上るたびに、当時の恐怖がよみがえるという米沢さん=岩手県陸前高田市で2011年12月10日、市川明代撮影

被災した建物が撤去され、一面に空き地が広がる岩手県陸前高田市の中心部に、今も3階建てのビルが残っている。菓子材料・梱包(こんぽう)材卸「米沢商会」。所有者の米沢祐一さん(47)はあの日、屋上の煙突にしがみつき、押し寄せる津波に耐えた。その体験を伝えたくて、訪れた人たちを案内している。周辺は市の復興計画でかさ上げされる予定だが「遺構として残したい」。

「ここへ来るのは、本当は怖いんです」。米沢さんは高さ約14メートルの煙突の上から街を見渡し、声を震わせる。それでも津波の恐ろしさを肌で感じてもらうため、はしごを上るよう促す。「こんなところまで……」。穏やかな海を見つめ、誰もが言葉を失う。

3月11日。激しい揺れの後、店にいた米沢さんの父節祐(ときすけ)さん(当時74歳)と母静枝さん(同70歳)、弟忍さん(同38歳)はすぐ裏の市民会館に避難。米沢さんだけは店の様子を見ようとビルに戻り、2階へ向かう階段の踊り場で津波に気づいた。

3階へ走ると、水面は2階まで達していた。屋上へ駆け上がった米沢さんは必死ではしごをつたい、小さな煙突の突端まで上り切った。間一髪。見渡せば、周囲は真っ黒な海だった。見えたのはスーパーの屋上看板と、市役所の4階だけ。1次避難所に指定されていた市民会館や市民体育館も見えなかった。

「あの時、3人はもうだめだと覚悟しました」。足元まで水につかりながら、ひたすら波が引くのを待った。やはり3人は遺体で見つかった。

仮設店舗で商売を再開したのは5月。2カ月後、市にビルの撤去について意向を問われた。「撤去費用は数百万円。今なら国の補助で壊せる」。ビルは13年前、家業を継いだ際に「事業を拡大しよう」と節祐さんと購入した。今もしっかりと形をとどめる。悩んだ米沢さんを決断させたのは妻の一言だった。「一度壊してしまったら、いくらお金があっても取り戻せないよ」

被災した建物について市は、海沿いに整備するメモリアル公園内に一部を残すが、中心部はかさ上げして住宅街を整備する方針。だが、米沢さんは言う。「街の真ん中に残して、みんなに見てもらうべきじゃないか。そうじゃなきゃ、犠牲になった人たちに申し訳ない」【市川明代】

http://mainichi.jp/select/weathernews

    Choose :
  • OR
  • To comment