11/02/2011

信念と技術で復興へ 「待ってるぞ」に奮起

 

「一筋の希望の光を見いだすことができ、ありがとうございました」。お盆前の8月6日、宮城県気仙沼市で、東日本大震災で行方不明となった「高橋工業」設計課長(47)の葬儀が行われた。高橋和志社長(54)は弔辞を読み上げ、遺影に向かってこうべを垂れた。

江戸時代から続く船大工の7代目。不況で父の代に造船会社が倒産、約25年前に建築物の設計・施工など「陸(おか)の仕事」に活路を求めた。鉄の加工や溶接など造船ならではの海の技術を生かした建築物は業界の常識を覆し、高い評価を得てきた。

しかし3月11日、津波で工場が全壊。貴重な設計データや図面を保存していた十数台のパソコンも波に洗われ、ローンが残る機械設備も流失。会社の「礎を築いた」古参の設計課長は行方不明となり、従業員17人も解雇せざるを得なかった。

「昔とったきねづか」で船造りに戻ろうか―。

震災で多くの漁船が失われ、需要もあった。一時は漁船の建造計画書も作成。「おれは陸で船を造っているんだ」。常々そう口にし、造船業の再興は7代目の悲願だった。迷いや焦りで眠れない日々も続いた。

一方で、行方不明のままの設計課長のパソコンが見つかった。「なんという因縁だろう」。設計データが復元でき、陸の仕事を続けるための「希望の光」となる。妻美音子さん(52)の「津波が与えてくれた時間だと思って、ゆっくり考えて」との言葉にも救われた。

さらに4月中旬、思いがけない知らせが届く。震災前に手がけた特殊鋼製の住宅が日本建築学会賞を受賞した。設計した著名な建築家が授賞パーティーで、同社を「建築家にとって必要な存在」とたたえた。

「また一緒にやってほしい」「待ってるぞ」。200人を超える建築家ら有志が「高橋工業応援団」を結成し、メッセージや義援金を寄せた。船造りに傾いていた心が「陸に引き戻された」。

工場があった一帯は9月、建築制限が解除されたが、周辺のインフラ復旧は遅く、工場再建のめどは立たず、現実は厳しい。敷地のがれきは自力で片付け、仮設の工場で小さな金物の製作から始めるしかない。

「落ち込んではいられない。工場は流されたが、ものづくりの信念と技術は流されていない」と高橋社長。設計課長が残したデータがある。「希望の光があるうちは、進まなくちゃだめだ」

5人の子どもの父親でもある。「あのとき『父ちゃんはえらかった』って、言ってもらえる方がいいっちゃ」。父の顔でニカッと笑った。

(2011年11月 2日) 共同通信社

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