9/26/2011

宮城県南三陸町志津川廻館/「いたわりの人」悼む

 

<漁師の大変さ理解>
津波で犠牲となった宮城県南三陸町志津川廻館の阿部とし子さん(63)はクリスマスローズが好きだった。花言葉は「いたわり」。とし子さんの人柄に、ふさわしい花だった。
あの日、自宅にいた母親(85)を心配して、外出先から帰宅した。自宅は海岸から約2キロ。ともに津波にのみ込まれ、母親は今も行方不明だ。

育てていたクリスマスローズの苗は500鉢を超える。友人知人にも配った。ケーキ作りも得意で、たくさん作ってはお裾分けした。

夫の吉夫さん(68)は遠洋マグロはえ縄船の元乗組員。1年の大半を洋上で過ごす夫に毎日、電話をかけ、体調を気遣った。吉夫さんは「漁師の娘だから、海の仕事の大変さを人一倍理解してくれていた」と振り返る。

40年ほど前に見合い結婚したとき、とし子さんと誓い合った。
「人生『良い』も『悪い』も50%ずつ。二人で努力して『良い』を1%でも増やそう」
震災半年後の9月11日、吉夫さんは自宅跡でささやかな法要を営んだ。近所の4家族8人が集まり、とし子さんらの死を悼んだ。 「楽しい思い出がたくさんできた。『良い』が80%ぐらいに増えた」と吉夫さん。小さな祭壇に感謝の言葉を掛けた。


<黒田節が「おはこ」>
法要には、斜め向かいに住んでいた水井和子さん(65)も参列した。和子さんもまた、元病院事務職員の夫正躬(まさみ)さん(64)を津波で亡くした。

10年前に脳梗塞を患い、自宅で寝たきりの暮らし。助けるすべはなかった。それでも、今も心の整理は付かない。感情を表に出すことが苦手な人だった。知人は「おとなしく、真面目な人」と口をそろえる。和子さんが体調を崩すと、何も言わずに食事の準備をしてくれた。イカと大根、ジャガイモの煮物が得意だった。 休日には、釣りに出掛けた。娘2人がまだ幼かったころ、一度だけ家族連れでワカサギ釣りに行った。

娘たちにさおの操り方を教える正躬さんは心底、楽しそうだった。 自宅は津波で全壊したが、辛うじて残った2階部分で、正躬さんの袴(はかま)が見つかった。日本舞踊の心得もあった正躬さんは黒田節がおはこだった。和子さんとの結婚式でも披露した。 「けんかもしたけど、すてきな思い出ばかり」と和子さん。きりりとした正躬さんの舞い姿が、記憶に焼き付いている。(古賀佑美)

2011年09月26日月曜日


河北新報ニュース

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