5/21/2011

【震災ルポ】頼れる息子は、どこに 「確認できねぇのが...」

 

津波で流され土台だけになった家に花とジュースを供えた。そっと手を合わせると、涙が込み上げてくる。「確認できねぇってのが一番つらいねぇ」。震災から2カ月がたっても行方不明の息子らを思いながら、岩手県宮古市田老地区の漁業八重樫則夫さん(61)は、つぶやいた。

長男昌宏さん(36)は頼れる仕事の相棒だった。約20年前、宮古市内のデパートで働いていた八重樫さんが父(88)の跡を継ぐ少し前に、高校を中退し、16歳から漁業の世界に入った。

昌宏さんは幼いころから祖父に連れられ浜に行き、機械類の分解や手入れをしていたので手先が器用だった。180センチと背も高く、力もあった。

「海のことを一から十まで全部知ってるのは昌宏。俺が漁師やってこれたのは息子がいたっからよ」

1月にあったアワビ漁。300隻超が出漁する中で、普段は寡黙な昌宏さんが「(漁獲量で)10番以内に入る。2人でがんばっぺ」と口にした。結果は3時間で約50キロ、過去最高の7番だった。

漁はアワビの生息場所を覚えているかがポイントで経験がものをいう。「内心持ってたものがあったんだろうけど、自信がついてきたから口にしたんじゃないか」

3月11日。岸壁にいた八重樫さんは高台に逃げて無事だったが、自宅にいた両親と昌宏さんが津波にのみ込まれた。数日後に父は遺体で見つかったが、母(85)と昌宏さんは行方不明のままだ。
父は車いす生活で、母も腰を痛めていた。決して2人を置いていくような息子じゃない。「あのとき家に寄れば」。今でも悔やむ。

船も網も全部流された。引退も考えたが、漁師を続けることにした。「辞めるのは簡単だけど、若い人のためにも続けないとね。昌宏がいれば『頑張る。続けっぺ』って大きな声で言ってたはずよ」

自宅周辺に足を運び、遺体安置所を回るのが日課だ。「形が少しでも残っていれば。何にもないのはきついですから」。6月18日には地域で合同葬が予定されている。それまでには何とか見つけたい。

 共同通信社

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