4/21/2011

一緒にいた母と祖母が犠牲に「2人が力貸してくれた」/陸前高田

 

震災から1カ月がたった11日。祖母が遺体で見つかった。その2日後には母も。津波で2人と生き分かれた場所から、それほど離れていないがれきの下だった。
「あれだけの津波だったのに、流されなかったんだ」。陸前高田市の会社員鈴木泰治さん(33)は、少し意外だった。

地震発生時は、仕事で気仙沼市唐桑町にいた。避難した高台から見下ろすと、海の底が顔を出していた。「津波が来る」と直感した。車を飛ばして自宅に戻った。祖母ニシエさん(85)と母しげ子さん(60)の手を引っ張って約100メートル先にある本丸公園に向かった。

途中、背後で黄色い砂煙が舞った。「バキバキ、バキバキ」。何かが家をなぎ倒す音がした。同時に、黒い水が見上げるような壁となって襲ってきた。とっさにニシエさんを抱えた。
しげ子さんは流されてきた軽乗用車に足を挟まれ、動けなくなった。そこに再び津波が押し寄せ、しげ子さんをのみ込んだ。

ニシエさんを抱えて陸地を探したが、がれきに引っ掛かって思うように泳げない。握り締めていたニシエさんの襟が破れ、離れ離れになった。水から顔を出そうとしても、がれきが邪魔をして息が吸えない。「もう駄目だ」。力が抜け、体が沈み、意識が薄れた。

波の中を約200メートル漂い、愛宕神社まで流されたようだった。「自分は助かったのか」。現実感はなかった。

1カ月、2人を捜してがれきのまちや遺体安置所を訪ね歩いた。悲報は友人が知らせてくれた。13日に2人の火葬を済ませた。生き残った者の責任を果たせた気がする。

平たん部が津波でほぼ全滅した陸前高田市。死者・行方不明者は2000人を超える。自分が助かった理由は分からない。単なる運か。そうではなく、2人が身代わりになってくれたのか。「悲しいけど、2人が力を貸してくれたと考えた方が救われる」

身辺整理が一段落したら、救援物資を運ぶボランティアに参加する予定だ。「このまちが好きだから、少しでも復興に力を尽くしたい」。拾った命は、人のために使う。

(宮崎伸一)

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