4/15/2011

津波間一髪、防潮堤を過信 岩手の一家

 

3メートルなら大丈夫--。過去に何度も津波を経験してきた岩手県沿岸部は各地で高い防潮堤を整備するなど対策を進めてきた。地震発生直後に気象庁がこの地域に出した大津波警報は高さ3メートル。「高台に避難しなくても安全だ」と考えた、という証言が相次いでいる。


岩手県大船渡市の南端に位置する碁石海岸で食堂「碁石観光ハイツ」を経営する、大船渡市末崎町西舘地区の村上有基さん(36)は地震発生時、母恵子さん (63)と食堂で休憩中だった。食堂の被害はなかったが、約2キロ離れた自宅に残した足の不自由な祖父の三郎さん(96)が心配になった。

午後2時50分、乗用車に乗り込み、自宅に向かう途中カーラジオをつけると「大津波警報が発令され、宮城県沿岸には6メートル、岩手県沿岸には3メート ルの津波が来る」と聞いた。自宅から300メートルほど離れた、泊里(とまり)漁港には高さ約5メートルのコンクリートの防潮堤がある。「3メートルなら 防潮堤を越えることはない」と思ったという。食堂に引き返して、恵子さんを車に乗せ、午後2時55分ごろ、再び自宅に向かった。

午後3時、自宅に到着。父征一さん(66)も戻っていた。台所の食器が何枚か割れていた。同様にカーラジオで「3メートル」と聞いていた征一さんが「津 波はここまで来ることはないだろう」と言い、家族は室内の片付けを始めた。1960年のチリ地震津波など過去の津波で自宅は浸水せず、全員が「家にいるこ とが避難になる」と思ったという。

午後3時15分ごろ、恵子さんが、台所から自宅の少し下にある納屋の屋根が流されているのに気付いた。「津波だ」と叫んだ。村上さんは靴を取ろうと、玄 関に向かった。ゴーゴーという音を立てて泥水が流れ込み、水はすぐにひざの高さまで。居間に戻ろうとしたが水圧が強く、動けない。何とか近くの階段にたど り着き、2階にはい上がった。水かさが増す。「3人はもう助からない」と思った。

濁流は1階の天井近くまで達し、居間にいた3人はあっという間に水にのまれ、浮いてきたソファに夢中でしがみついた。天井と水面の50センチほどの隙間 (すきま)に必死に顔を出した。水が引くまでの約10分間、恵子さんは「もうだめだと何度も思った」と振り返る。午後3時半。4人は間一髪で難を逃れた が、向かいの家は倒壊し、地区では3人が死亡、3人が行方不明になった。

家族と避難生活を送る村上さんは、大津波にのまれる夢を見るようになった。「3メートルと聞き、被害は湾内の漁業施設ぐらいと思った。甘かった。初めから高台に避難すべきだった」。恐怖で目を覚ます度、そう悔やむという。【宮崎隆】

◇「数字たいしたことないと…」

最初に「到達」と伝えられた波の大きさ、避難場所の海抜、防潮堤の高さから「安全」と判断した人もいた。

同じ西舘地区に住む、無職、及川宗男さん(60)はマイカーに備え付けたテレビで「沿岸部に20センチの津波が到達」と聞いた。安心して海から約600 メートル離れ海抜15メートルほどの坂の上に車を止めた。ところが、家々が津波に流されている。あっという間に濁流が目の前に迫った。かろうじて車から脱 出し高台に逃げた。「数字を聞いてたいしたことがないと思った。過信していた」と及川さんは振り返る。

岩手県陸前高田市の気仙小学校に避難した25歳の女性は「小学校は海抜10メートルぐらいで、ここに逃げればさすがに大丈夫だろうと思った」と話す。午 後3時15分ごろに防災無線を通じて「6メートル」という数字を聞いた。「小学校まで来るとは思いもしなかった」。ところが津波はグラウンドの避難者を襲 い次々にのみこんでいった。この女性は裏山を駆け上がり助かった。

岩手県宮古市田老地区の70歳の男性は「防災無線で3メートルと聞き、大丈夫と思った。しかし『逃げろ』と叫ぶ声を聞き、一応避難することにした。今思えば危なかった」と話す。【宮崎隆、山口知、伊澤拓也】


毎日新聞より

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