4/26/2011

避難住民の「食」支える/元ホテル仙台プラザ調理師・佐々木五十美さん(67)=岩沼市下野郷

 

◎プロの味、使命感胸に

ガス台に火が入る。厨房(ちゅうぼう)にソースの甘酸っぱい香りが立ちこめた。「火力は弱くても、しっかり炒めねえとな」4月21日のお昼前。岩沼市の避難所、市農村環境改善センターで佐々木五十美さん(67)が指示を飛ばした。

昼食のメニューは焼きそば。「料理長」の言葉に従い、3人の料理人が鮮やかな手つきで野菜や肉を炒めていった。この日は元同僚たちが避難所に手伝いに来てくれた。佐々木さんは震災が起きた3月11日まで、仙台市のホテル仙台プラザで調理師として働いていた。避難所の人たちからは「焼きそばでも、カレーでも、さすがプロの味は違う」と声が上がる。

岩沼市の海岸部にあった自宅は津波で損壊した。古巣の職場も廃業し、今はない。あるのは不思議と湧き起こる使命感だけ。「避難所の『家族たち』を食べさせていかないと」

40年近く、仙台を代表するホテルの厨房に立った。最上階にあった高級レストラン「メープル」の調理長を務めるなど、老舗ホテルの味を守った。2004年に定年退職。短い充電期間を経て、嘱託社員として働き続けた。大地震が起きた時、専門学校の卒業パーティーの準備をしていた。大きな揺れで天井が落ちた。食器もめちゃくちゃに割れた。人生の大半を過ごした思い出の場所を、混乱の中で去った。

この避難所に移ったのは3月24日。もともと近所付き合いの長い住民たちに「3班に分かれて、炊事、掃除を交代で担当しよう」と提案。ホテル時代と変わらぬリーダーシップを発揮した。
「昔から面倒見が良くて慕われる人だったから」。元同僚の男性が鍋を振る手を止めて言う。

新しい「仕事場」には白菜、トマト、ネギといった新鮮な野菜が山のように積まれる。避難所の人はほとんどが農家で、親しい生産者から定期的に差し入れがある。佐々木さんは冷凍庫を運び込んだ。宮城県内外から訪れる炊き出し部隊が持参した肉も入っている。

日々のメニューを作るのも、佐々木さんの仕事だ。パスタ、チャーハン、八宝菜…。残っている食材の種類と量を見ながら考える。貧弱な設備でいかに作るか。足りない食材をどう補うか。恵まれた環境だったホテル時代とは、全く違う工夫とやり繰りを強いられる。

「毎日、炊事の班のお母さんたちと、料理教室をやっているみたいなもんだ」と佐々木さん。「でも最近は、お母さん方の腕がどんどん上がって、楽にはなってるね」。感謝の気持ちを照れ笑いで隠す。

間もなく、避難所の人たちは仮設住宅に移り始める。佐々木さんも、黄金週間明けには仙台市内のマンションに引っ越すつもりだ。どこでもいいから「料理人を続けたい」と考えている。
「若い人の仕事が見つからない時だから、無理かな。でも料理人は、人に食べさせることで生きる喜びを感じるんだ」

(小木曽崇)

2011年04月26日火曜日

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