4/19/2011

家造りは古里でこそ/建築士・佐々木文彦さん(54)=石巻市北上町

 

◎仲間の支えに再起誓う

三陸の荒々しい海も、水平線が赤く染まる朝焼けも好きだった。
「3階からは海が見えたんです」
視線の先には、コンクリートの1階事務所だけが残っている。2階と3階の自宅部分は津波で、跡形もない。


三陸の海 http://blog.goo.ne.jp/

石巻市北上町十三浜。設計会社を営む佐々木文彦さん(54)は7年前、本社を仙台市からこの生まれ育った浜に移し、木造注文住宅の設計や古民家再生を手掛けてきた。「故郷の自然の中で仕事をしたかった」と言う。

十三浜を津波が襲った3月11日のその時、栗原市に出張していた。翌日、無事避難した家族と再会できたが、自ら設計した自宅が全壊した姿を目にした。半農半漁で暮らす地元集落の25戸は、ほとんど流されていた。

佐々木さんは東京や仙台の設計事務所に勤めた後、27歳で独立。依頼を受けた仕事に取り組んだが、やがて、木の美しさやたくましさにひかれ、伝統的な木造建築に興味を持ち始めた。
「木造建築を行うためには、地域の協力が必要なことに気づいた。その土地の自然がは育んだ素材や技が必要だから」古里や県内の林業家、製材業者、大工らと語り合い、1999年に「杜(もり)の家づくりネットワーク」を設立した。

「素材のことをきちんと教えてくれるのは大工や職人だった。一人一人が力を合わせれば、地域を元気にできる。自分たちの顔が建て主にも見える仕事をしたかった」県産木材への理解を深めてもらおうと、ネットワークの仲間と地元で「森林見学会」も催した。人生の仕事が軌道に乗ったところに津波が来た。

パソコンも海水に漬かり、30年もかけて積み重ねた数百軒分の貴重なデータが消滅した。佐々木さんは途方に暮れた。

「佐々木は生きている」。そんな情報がネットワークや建築の仲間に伝わったのは、震災後10日ほどたったころ。身を寄せる古里の避難所には食料や衣料、新品の洗濯機などが続々と届いた。
6日には、宮城県加美町のそば職人ら11人が避難所を訪れて、温かい食事を振る舞った。これもネットワークの仲間と手掛けた仕事の縁だった。

支援者は、加美町内で築80年になるわらぶき民家の住人で、親子で餅とそばの店を営む。「先祖から受け継いだ家を守りたい」との願いに応えた仕事に感謝し、修業先だった長野市戸隠のそば職人も招いて駆けつけた。

「建て主さんから、こんなに支援をもらえるとは。自分たちの思いが伝わっていたと、自信を持つことができた」

この1カ月、避難所の役員を務めて多忙な毎日だった。これからいったん仙台で仕事を再開し、十三浜に通うつもりだ。

祖父と父は漁師。自分もアワビ漁に出ることがある。好きな海への思いと津波の現実に、心の整理がつかないほど悩む。

「それでも」と言葉に力を込める。

「家々は流され、集落は崩壊の危機にある。建築に携わる者として、また地元の大工たちやネットワークの仲間と共に、古里のために働きたい」

(安達孝太郎)

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