4/18/2011

四川大地震:5月で3年 廃虚の町、保存され「遺跡」に

 

約9万人が死亡・行方不明者となった08年の中国・四川大地震から5月で3年。最大被災地のひとつ、四川省北川地区の中心部は町が壊滅し、政府は同じ場所での再建をあきらめ、新たな場所での再建を進めている。一方、捨てられた町は被害建物がそのまま保存され、「震災遺跡」に生まれ変わった。東日本大震災でも被災者の生活復興が急がれる中、災害の記憶をどう後世に残すか。北川の取り組みと課題を探った。【北川地区で鈴木玲子】

強震と四方を囲む山からの土石流で町が壊滅し、住民約2万人が犠牲となった北川地区の中心地・曲山。4月上旬に再訪すると、えぐられた茶色の山肌や倒壊した建物群がそのまま残っていた。震災直後との違いは、横たわる無数の遺体、家族を捜す人々の姿、ほこりや煙、異臭がないこと。

がれきの前では、家族を失った人々が時折、花を手向けに来るという。被災各地で復興が進む中、ここだけ町全体が「遺跡」として保存され、時が止まっているかのようだ。
◇「1対1」支援で爪痕消え

中央政府は、経済的に裕福な沿海部などの19省・直轄市に対し、被災自治体を「1対1」で支援する復興体制を導入した。競うようにインフラ再建が進み、震災の爪痕は瞬く間に消えた。

北川地区は山東省が担い、事業費約154億元(約1967億円)のうち3割近くを負担した。しかし、被害が甚大だった曲山は、南東に約20キロ離れた別の地区が割譲した約7平方キロへ移転することになった。同時に中央政府は、元の町を震災遺跡とするよう決定。全半壊した建物に補強剤が注入され、がれきや傾いた建物もそのまま残された。

一方、新しい町では昨年9月までに住宅を中心に移転住民用の住宅建設がほぼ終了。豪華な校舎も造られ、胡錦濤・国家主席が新しい町を「永昌」と名付けた。永久の繁栄を願うとの意味で、将来的には7万人の居住が可能になる。
◇最新100平方メートル超の団地当てたが…

中国の手法について、災害復興に詳しい龍恩深・四川大学教授は「他国にない支援モデル」と指摘し、「裕福な自治体が責任支援する方法は、資金力のない被災自治体の復興を確実にする上で日本にとっても参考になるはず」と述べた。

しかし、被災前よりインフラが整備されていても、住み慣れた場所から引き離された人々の悩みは深かった。

真新しい復興団地群。理容師で被災者の黄小蓉さん(36)は今年1月、夫の王明長さん(37)と共に避難先の仮設住宅から移ってきた。曲山の美容院は全壊。自宅は半壊で修理すれば住めたが、「町ごと移転」は拒否できなかった。

昨年12月にあった復興団地の抽選会は、テレビで全国中継された。割り当てを巡って被災者に不満が残ることに神経を使った政府が「公平」をアピールしたものだ。

こうして黄さんが当てたのは最上階の6階、最新設備の100平方メートル超3LDK。しかし、エレベーターもないため「6階の上り下りがおっくうになり、友人と会う回数がめっきり減った。仕事もない」と黄さんは浮かない顔をした。

別棟に住む王官碧さん(76)は「何もかもが新しく、何度も道に迷っている」と言った。町は日々拡張していて、通りの名を覚えるのも難しい。似たような団地ばかりで見分けもつかない。

被災者の大半を占める少数民族チャン族の文化再生も大きな課題だ。新しい町にはチャン族の象徴である羊をかたどったデザインが施され、チャン族の言葉から名付けた道路も多い。新設された無形文化遺産保護センターには、チャン族の伝統刺しゅうなどが収蔵されている。しかし、土産物店を経営するチャン族の女性(50)は「ここが北川という実感はない」とうつむいた。
◇入場料170円 ツアー客増加

「遺跡」となった曲山は、入場料13元(約170円)を払えば誰でも見学できる。観光目的のツアー客も増え、廃虚を保存した政府の取り組みがアピールされている。

しかし、夫が行方不明の李清江さん(27)は、復興団地に移らず、曲山を見下ろす高台に自宅を再建するつもりだ。「(夫がいたという場所は)がれきで埋まり、そのまま保存された。遺体は見つかっていない」と語り、見える復興と見えない復興の両立の重要性を説き、東日本大震災の被災者の未来に思いをはせた。


毎日新聞より

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