4/28/2011

宮城県志津川自然の家(宮城・南三陸)/物資分配体制、自ら考案

 

「次、いくよ」「はい」。宮城県南三陸町戸倉地区の6集落から集まった住民が、支援物資を軽トラックへと積み替えていく。仕分けを担当する菅原まち子さん(56)が「寺浜は40個、長清水は20個ね」と、てきぱき差配していた。

戸倉地区に点在する避難所の中で志津川自然の家は支援物資の集積所に位置付けられ、ここから毎朝、周辺集落の避難所へと届けられる。効率的な物流システムは震災直後、住民自身が考えた。

避難所を担当する町職員佐藤勉さん(47)は「行政の支援が始まる前から効率の良いシステムができていた。住民のパワーに驚いた」と語る。住民パワーはがれき撤去でも発揮された。幹線道路をふさいでいたがれきは住民総出で撤去し、地区を「陸の孤島」から救った。
菅原さんは「もともとまとまりのある地区だったが、被災したことでさらに団結力が強まった。この力が復興の原動力になる」と信じている。

◇  ◇

●三浦和之さん(29)=南三陸町戸倉底土
コンビニで働いていたが、職場も自宅も流された。当面、住み込みでがれき撤去の仕事が見つかった。やっぱり地元が好き。離れる気はない。

●長嶋凉太さん(33)=南三陸町戸倉坂本
本業はペンションのパティシエ。生クリームが手に入ったのでミルクレープを作った。避難所にスナック菓子はあってもケーキはない。甘いものに飢えていた人たちに喜んでもらった。

●菅原遥人君(12)=南三陸町戸倉波伝谷
学校にいるときに比べ、友達は少ないけど支援物資に入っていたオセロなどで遊んでいる。小学校が始まったら頑張って勉強の遅れを取り戻したい。仲間と思いっきり野球をしたい。

●後藤愛加さん(23)=南三陸町戸倉坂本
自然の家の敷地内にできる仮設住宅に来月から入るが、抽選に外れた人もいるので複雑な気分。避難所では見知らぬ人にも助けてもらい、ボランティアにもお世話になった。町には何もなくなったので石巻か登米で仕事を探したい。

●成沢伊吹君(12)=南三陸町戸倉波伝谷
小学校の卒業準備も中学校の入学準備もしていたので悲しかった。先生が定期的に来て小学校の復習を見てくれるのがうれしい。中学校が始まったら野球部に入りたい。

●長嶋玲子さん(37)=南三陸町戸倉坂本
避難所の環境は良かったが、それでも5歳と2歳の娘が病気になって大変だった。物資が届かないときは、おむつやお尻ふきをみんなで分け合って使っていた。

●三浦とし子さん(52)=南三陸町戸倉波伝谷
朝晩、女性メンバーで約70人分の食事を作っている。震災前は夫婦で養殖業をやっていた。今後の生活はまだ考えられない。ワカメ養殖を再開できればいいが、港はがれきの山で船を着岸できるかどうか分からない。

2011年04月28日木曜日


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