4/21/2011

避難先二つ三差路か岬の神社か/訓練報われず被害に差/気仙沼 

 

気仙沼市のお伊勢浜海水浴場周辺に「高台」と呼べるような場所は、ほとんどない。海岸から200メートルほど内陸にある三差路と海に突き出た岬が、ともに海抜15メートルほど。どちらも津波から逃れられる場所として、住民に知られていたが、今回はどちらに逃げたかで、被害に大きな差が出た。

農業三浦祝子さん(66)は三差路に逃げた。沖に津波が見えても、避難者は安心しきっていた。「家から持ち出した椅子で休んでいる人もいた。寒そうなお年寄りに毛布を掛けてあげた」
三差路は、津波の際の一時避難場所になっており、1896年の明治三陸大津波でも水没しなかった。「津波のときは三差路に逃げろ」が集落住民の合言葉だった。

だが、津波はやがて斜面を回り込むように駆け上がり、三差路をのみ込んだ。三浦さんは目の前の自宅に戻ったところを津波に襲われた。家の奥で波をかぶり、がれきをかき分けてはい出た。
流木に女性2人がつかまっていたが、毛布を掛けてあげたお年寄りの姿はなかった。

「お父さん、お父さーん」。一緒にいたはずの夫正三さん(67)を捜したが、返事はなかった。
お伊勢浜の背後に広がる集落は、約85棟がほぼ全壊。死者・行方不明者は三差路に逃げた住民を含めて91人に上った。一方、岬に逃げた住民10人は全員助かった。

岬は海に面して切り立った崖で、神社が建っている。主婦斎藤たみ子さん(74)は岬に逃げた。
腰まで水に漬かりながらもブロック塀に馬乗りになり、渦巻く波をかわした。「ほかの人も木やフェンスに必死にしがみついていた」と振り返る。

「三差路まで間に合わないときは神社に逃げろ」。これもまた集落住民の合言葉だった。
集落は避難訓練を欠かさない、防災意識の強い地域だった。
「避難訓練を重ねたからこそ、三差路に逃げれば大丈夫だという安心感が大きくなっていた」。自治会長代行の藤田康悦さん(63)は、ただ嘆くばかりだ。

(高橋鉄男、丹野綾子)

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