4/21/2011

大震災 津波から紙一重で生還 運命の岐路

 

多くの人命を奪った東日本大震災の巨大津波から紙一重で逃れ、あるいは、死のふちから生還を果たした人がいる。運命の分かれ道はどこにあったのか。迫り来る津波を前に、理屈では説明し難い生死の境目に立った人たちの体験談を集めた。

◎乗れなかった送迎バス、県道で巻き込まれる/国道から「水の壁」/宮城・山元 

携帯電話から緊急地震速報を告げる警告音が鳴ったのは、路上教習の帰り道だった。
教習車を運転していた相馬市の専門学校生高山直樹さん(18)は、小さな揺れを感じた。「地震ですね」と教官に声を掛けた途端に、大きな揺れに変わった。

「危ない。止めて」。教官の指示で道路脇に車を寄せた。揺れは3分ほども続いたように感じた。揺れが収まってから、宮城県山元町の自動車教習所に戻った。建物の外には職員と教習生が集まっていた。室内灯も教習コースの信号機も消えていた。

「午後3時からの教習は、できるか分かりません。待機していてください」と職員の声が聞こえた。取りあえず教習所の送迎バスの中で待った。

午後3時半ごろ、教習中止が決まった。教習生らは相馬市、角田市など行き先別に送迎バスに乗り込み始めた。 相馬市方面行きのバスに乗ると、職員に「方向が違うよ」と言われ、降りるよう促された。バスには相馬市と同じ方角の福島県新地町から通っている人の姿があった。渋々バスを降り、相馬市へ向かうという教習車に乗せてもらった。

教習車は海岸線に近い県道を南下し、途中で国道6号方面に右折した。後方から来たパトカーに拡声器で「大津波警報が出ている。早く逃げてください」と呼び掛けられた。慌てて海岸線に目を向けると「水の壁」が見えた。

「先生、津波が来ています」。運転していた教官は国道6号沿いの少し小高い場所に車を止めた。建物の隙間から、津波に押し流されるがれきが見えた。

波が引くと、海岸線の方向にあった建物や車がなくなり、大きな水たまりができていた。同乗していた女性は泣いていた。ほかに誰も声を発しなかった。

数日間は津波の光景が嫌でも思い出された。震災から1週間後、教習所で一番仲のよかった友達の告別式に出た後「落ち込んでいても仕方がない」と割り切った。

乗り損ねた送迎バスは、海岸線に近い県道を走っていて津波に巻き込まれ、教習生らが亡くなったと聞いた。教習生、職員合わせて教習所の死者・行方不明者は40人近くになる。
バスに乗ろうとした時、なぜ職員は「方向が違う」と言ったのか。職員も行方不明という。
「何かに導かれたとしか思えない」。それ以外の答えを見つけられない。

(若林雅人)

河北日報より

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