4/20/2011

【東日本大震災】「子供たちのたくましいパパでいて」 優しく語りかける妻の手紙

 

転居先のアパートで、長男の郁哉君、長女の千紘ちゃんと語り合う佐々木健吾さん=宮城県登米市  写真左(共同)

震災で妻の奈保子さん(38)を亡くした佐々木健吾さん(44)は、長女の千紘(ちひろ)ちゃん(6)とこんなやりとりを何度か繰り返した。

「ママは、天使になって天国にいるの?」

「そう。ここにはいないけど、ちいちゃんのこと、いつも見てるよ」

最初のころ「透明なママは嫌」と泣いた千紘ちゃん。最近は笑顔も見せるようになったが、どこまで母の死を受け止められたのか。長男の郁哉君(12)は「お母さんの分まで生きる」と気丈に話し、少しだけ泣いた。

4月。親子3人は自宅があった宮城県南三陸町を離れ、登米市のアパートへ。18日には千紘ちゃんの小学校の入学式があった。咲き始めた桜の下、支援物資の中にあった白のブラウスを着た娘を見つめながら、健吾さんは、式を楽しみにしていた妻の声が聞こえた気がした。「今日も一日頑張って」。あの手紙の中にあった言葉だ。

南三陸町志津川。海から約1キロ離れた丘の中腹に、特別養護老人ホーム慈恵園は建っていた。

■職場で結ばれ職場で

健吾さんは事務、奈保子さんはデイサービスセンターの介護職員として勤務。職場で出会った2人は1997(平成9)年に結婚した。

震災当日、健吾さんは、町を破壊しながら押し寄せる波を見た。慈恵園の入所者68人はほとんどが寝たきりだ。

「とにかくもっと上へ」。裏の高台にある志津川高校までは急坂が50メートルほど続く。十数人の職員と近くにいた高校生が集まり、お年寄りを一人一人抱え上げリレーのようにして運んだ。助けられたのは約20人。無我夢中で、施設が津波にのまれるところは見ていない。

地震の後、慈恵園の前で毛布を手に、お年寄りの間を歩いていた奈保子さんがいないと気付いたのは日が暮れたころ。3日後、がれきの中から遺体が見つかった。

職場の机の引き出しには、泥まみれになった健吾さんのかばんが残っていた。内ポケットから、奈保子さんの手紙が出てきた。数年前、夫婦げんかをした後にもらったものだ。かばんにしまい、そのまま忘れていた。

「突然手紙というのも何かあったと思うかな? 何もないのよ。昔書いていた日記を見つけて読んだら、とっても大切にしてもらってたのね。反省しました」

■介護士に合格してた

仕事が大好きで責任感が強かった奈保子さんは今年、介護福祉士の試験に初めて挑戦した。4月初め、健吾さんがインターネットで確認すると、合格していた。「一緒に喜べたらよかったのに」と泣きながら、笑う。

今も妻が戻ってこないとは信じられない。道具箱や鍵盤ハーモニカ、おはじき。奈保子さんがそろえた千紘ちゃんの学用品は全て流された。学校のこと、2人の子の世話、新しい仕事探し。「料理だってやったことないのに…」と戸惑う健吾さんに、中学生になった郁哉君は「ごはんは僕が作る」と言ってくれた。

奈保子さんの手紙は、こう続いていた。今の健吾さんへのエールのように。

「パパ、大好きよ。郁哉と千紘のたくましいパパでいてね。今日も一日頑張って」


SANKEI EX PRESS

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