4/23/2011

東日本大震災:子どもたちが結ぶ縁…避難所で新たな交流

 

福島第1原発の事故で福島県南相馬市から避難してきた一家と、津波で家を失った宮城県山元町の一家が、同県角田市の避難所で出会い、子どもたちを中心に交流を深めている。南相馬市の家にはカメラや写真を取りに帰れず、山元町では津波がアルバムを奪っていった。思い出を取り戻せない2家族に話を聞き、新たな交流を写真に撮り、贈った。

原発から約25キロ、屋内退避区域の南相馬市原町区の自動車整備会社社員、菅野孝志さん(47)は先月17日、放射性物質の危険から逃れるため、妻亜紀子さん(39)、長女朱音(あかね)ちゃん(10)とともに、最小限の荷物を持って車で北へ向かった。

避難所のあてはなかった。宮城県に入り、約40キロ離れた角田市でガソリンが切れかけた。「どこか避難所はありませんか」と尋ねた小学校で、同市尾山にある老人福祉センターを紹介された。一家はその後、山元町から避難してきた甲州正人さん(35)一家と出会った。

津波で同町高瀬にある自宅を流された甲州さんは、両親、妻望さん(34)、長男大河(たいが)君(5)と先月21日から避難している。被災後、数日身を寄せていた宮城県白石市の親類宅から山元町に戻る途中、ガソリンが切れかけ、ここにやってきた。大河君は、園児たちが送迎バスごと津波にのまれ犠牲になったふじ幼稚園に通っていたが、祖母のミキ子さん(56)が津波に遭う直前、車で園まで迎えに行って逃げたため無事だった。

被災後しばらくは「早くふじ幼稚園に行きたい」とぐずることが多かったが、今は朱音ちゃんが大河君の遊び相手になり励ましている。2人は毎日、携帯ゲーム機で遊んだり、サッカーをしたりし、子どもたちにつられて、両家族も次第に交流を深めていった。

家があるのに戻ることのできない菅野さん一家と、戻る家を失った甲州さん一家はそれぞれ家族の写真をほとんど持っていない。撮影すると、甲州さんは「地震後1枚目の家族写真です」と笑顔で話した。朱音ちゃんと大河君が元気にサッカーをする写真も撮った。

両家族は近く、市が準備した同じ雇用促進住宅に移る。亜紀子さんは「これからはご近所になります」と明るく話した。【杉本修作】


毎日新聞より

    Choose :
  • OR
  • To comment