4/07/2011

「せめて母の形見を…」スコップ握る少年 岩手県大槌町

 


津波によって流された自宅跡から荷物を運び出す被災者。
4月5日午前 岩手県大槌町(宮川浩和撮影)

民家も病院も漁港もスーパーも役場も、すべて流された…。東日本大震災の大津波で集落の大半が飲み込まれ、壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町。人口の1割にあたる1500人以上が死亡・行方不明になり、町長まで失った。故郷の惨状に絶望し、涙がかれることはない。それでも、生き残った住民は復興に向けて前に進もうとしている。(中村翔樹)

■廃墟の町で…

漁師町に有形無形の恩恵をもたらしてきた大槌湾を望み、多くの商店が立ち並んでいた大町地区も、歩くたびに耳障りな金属音が響く廃虚と化した。重機ががれきを撤去し、土煙が舞い上がる。その横でマスク姿の住民がビデオカメラで『現実』を記録していた。

「ここに、近所の人の布団乾燥機が転がっていたみたいだから…」。県立釜石高校への入学を控える三浦祐希君(15)は自宅のあった場所から300メートルほど離れた荒れ地を、スコップで掘り返していた。

探していたのは、5人家族で唯一、行方の分からない母親(49)ではない。「自衛隊に捜索してもらったし、もう会えないと思っている。せめて、形見になるようなものを見つけたいんです」

勉強に厳しかった。中学時代の野球部の試合には欠かさず応援に来てくれた。そのときには、弁当に好物の少し甘めの卵焼きをたくさん詰めてくれた。震災翌日の3月12日に予定されていた卒業式に、どんな服を着ていくか迷っていた。


思い出を語るとき、自然と涙があふれる。スコップを握る手にはバットを振っていたときとは違う位置にマメができた。「できるならもう一度、お母さんと旅行に行きたい」

町によると、4月6日現在の死者・行方不明者は1636人。家屋の被害を把握できる段階ではないが、7~8割は全壊しているとみられている。電気、水道は4分の3の世帯で復旧していない。

2階建ての町役場は屋上近くまで津波が押し寄せ、外観を残すだけ。勤務中だった町職員136人のうち32人が命を落としたか、行方が分からない。町民の証である住民基本台帳のデータさえも奪った。

■子供が元気に

山間にある吉里吉里(きりきり)地区の「堤乳幼児保育園」に4日、震災以来24日ぶりに19人の園児が顔をそろえた。朝礼で、芳賀カンナ副園長(43)が声を張り上げた。

「お父さんとお母さんは、おうちを片づけるのが仕事です。みんなは泣かないで、お友達と元気よく遊ぶのが仕事です」

園児は「はーい」と返事をすると、勢いよく園内を走り回った。わが子の笑顔に涙する母親もいた。

75人の園児のうち5歳と9カ月の姉妹ら4人が死亡・行方不明になった。20人の職員にも家を流され、園に寝泊まりする人がいる。それでも、芳賀副園長は「子供が元気でいれば、町も元気になる」と信じる。

津波の被害で再開のめどが立たない吉里吉里、大槌両保育園の6人も特例で受け入れた。芳賀副園長は環境の変化を気に病んだが、「園児同士で園内を案内したりして、すぐになじんでいた。地区の子供はすべて受け入れるつもり」。

■再建への希望

吉里吉里地区など4カ所の町有地に建設中の計約200戸の仮設住宅に、1787件、5067人分の入居申し込みがあった。加藤宏輝町長=当時(69)=に代わり、町政運営の先頭に立つ東梅政昭副町長(66)は町の再建に希望を見いだした。

「うれしい数字だ。町外に避難している人の中にも、入居を希望している人がいると聞いている。それは、いつかは町に戻って来るという気持ちの表れだという風に考えている」

4月1日、新人職員12人を迎え入れた。最初の仕事は避難所で被災者に食料や水を届けることだ。小槌地区で生まれ、大学を卒業して故郷に戻った小石理恵さん(23)は、住民の変調を敏感に感じ取った。

「大槌には強くて優しい人が多いけど、みんなが空元気を出しているように見える。ふとした瞬間に弱音を吐く人もいる」

小石さん自身も何人かの親類の行方が分からない。「ずっと大槌に戻りたいと思っていたが、震災があってその気持ちはもっと強くなった。まだできることは少ないけど、笑顔だけは絶やさないようにしたい」



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