4/04/2011

【震災ルポ】「行かないで」は言わない 妻が支える救急救命士

 

3日ぶりに顔を見たら、涙が出た。疲れ切った、大切な夫の顔。許された帰宅時間はたった10分。妻と、2人の息子の寝顔を確かめると、夫は再び被災地に向かった。仙台市の主婦、山田陽子さん(34)は救急救命士の夫、豊さん(34)を「行ってらっしゃい」と見送った。

3月11日、非番の夫は体力づくりのサイクリングに出ていた。次男の隼君(4)を幼稚園に迎えに行き、帰宅したところで地震が来た。大きく揺れ、電気が一斉に切れた。近所の人もみな家の外に出て「すごい地震だ。電話も通じない」と口にしていた。

夫はどうしているだろうか。仙台市の消防士は震度5以上なら連絡が付かなくても署に集まるのがルール。「無事でいて」。祈るような気持ちで鳴らない携帯電話を握り締めた。

豊さんとは17歳からの付き合い。10年前に結婚し、2年後に脱サラして救急救命士になった。3年前の岩手・宮城内陸地震では、長男の翼君(7)の父親参観に向かう途中で出動した。「困っている人のところに一番先に駆けつける仕事がしたい」と、熱っぽく語る夫が誇らしく、支えようと決めていた。「私は消防士の妻なんだ」。腹をくくった。

黙ってテーブルの下に隠れていた隼君を連れ、翼君を迎えに小学校に走った。停電で薄暗い校舎の中、子どもたちがおびえて泣いていた。共働きの家庭で、連絡の付かない保護者が少なくない。近所の子ども数人を預かり、ろうそくの明かりで一緒にご飯を食べた。

夜になって携帯がつながった。災害伝言板に「署にいます」。少しだけ安心できた。余震が続く中、外に出られる服を着て、枕元には靴と緊急持ち出し袋を並べて寝た。物音が鳴るたびに飛び上がって確かめる。治安が悪化しているというデマが飛び交い、ほとんど眠れなかった。

14日。「今から少しだけ帰る」。短いメールのあと、救助活動に奔走していた夫が帰ってきた。疲れ果て、言葉を交わす余裕もない。豊さんは2人の息子の寝顔をなでると、下着と寝具を受け取って被災地に戻った。「危ないところに行かないで」。喉まで出かかった言葉をのみ込んだ。夫はどんなに疲れていても消防士の顔をしていた。

近所で声を掛け合い、食料や燃料を融通しあって過ごした。「良いことをしていれば、夫も無事でいてくれるかもしれない」と、積極的にボランティア活動に参加した。

ライフラインはなかなか復旧しなかった。1週間、お風呂に入っていない。「こりゃあ災害だ」。18日、震災後初めての休暇で帰宅した豊さんがあきれたように言った。「ひどい、ひどい」。消防士の顔でない、夫の軽口がうれしかった。

今も非常配備が続き、豊さんが帰宅できるのは数日に1度。「かあちゃんが家を守ってくれると信じてたから、消防士でいられる。家族って大きい」。妻に心配をかけまいと現場の話はしない。陽子さんも、ただ「おかえりなさい」と迎えてきた。明日も「行ってらっしゃい」と送り出す。

(2011年4月 4日)共同通信社

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