4/12/2011

震災孤児「津波に負けない」 両親失い…それぞれの旅立ち

 



明日に向かって。避難所となった宮城県石巻市の渡波小学校のグラウンドで、夕暮れの空に向かって勢いよくブランコをこぐ子供たち

震災で母を亡くし、父も行方不明となった宮城県南三陸町の高校3年、村田龍生(りゅうせい)さん(17)は、鳥取県で暮らすことになった弟の天翔(てんしょう)さん(15)の小さな背中を見送った。もうこの町に家族はいない。一人、ひっそりと悲しみをこらえる。

あの日、ミニバイクで海沿いの道を走っていた。のけぞるほどの揺れ。潮が引き、海底が見えた。津波が来る。山の方に逃げた。

父の敏(さとし)さん(43)、母の慶子さん(43)はともに小学校教員。「午後2時46分」。携帯電話に母からの着信履歴が残っている。だが、何度かけ直してもつながらない。友人宅で一夜を過ごし、高台の避難所に向かうと、町があった場所には何も残っていなかった。

弟は無事だったが、両親が見つからない。祖母のところには地震直後、母から「勤務先の小学校近くにいる」と連絡があったことを後から知った。


弟とも離れ離れ

弟は鳥取県の祖母が引き取り、現地の高校に入ることになった。3月27日。中学の卒業証書が入った学生かばんを握り締め、大型バスに乗り込む弟に「頑張れ」と声を掛けると、弟は「うん」とだけ答えた。窓越しに手を振り、見送った。

母の遺体が、がれきと化した自宅近くで見つかったのは、それから間もなくのことだった。安置所で対面。弟に母の死を伝えようと電話をかけると、既に伝え聞いていた。

「入学式もあるし、火葬には来られないな」

「うん」

短いやりとりだった。母は6日に荼毘(だび)に付すことが決まり、高校の入学式は7日。後で祖母から「布団の中ですすり泣いていた」と弟の様子を聞いた。

「阪神」経験者が支援

阪神大震災で小学1年の時に両親を亡くした大学生、西山雅樹さん(23)は、支えてもらったあしなが育英会の支援活動に参加するため、近く宮城県に入る。

大きくなった今、困るのは、明確な父親像がなく、大人の男性の振る舞い方が分からないことだ。「家族という切っても切れない関係が、僕には欠落している」

ようやく最近「結局は自分でどう乗り越えるか考えないといけない」と思い至った。周囲が本気で支えてくれたのは分かっている。ただ、本音でぶつかれず、人の顔色をうかがって生きてきた。

家族を再び失うのが怖くて「結婚はしない」と考えた時期もあった。でも「自分こそ一番、家族を持ちたいんじゃないか」と思い始めている。

「目標は父が生きていた年まで生きること。同じ年に並んだ時、どんな景色を見てるんだろう。楽しみです」

西山さんは避難所を回り、あしなが育英会の支援策を紹介しながら体験を話す予定だ。夫や妻を失った人にも「負けないで」とエールを送ろうと考えている。

厚生労働省の1次調査によると、今回の震災で両親とも失った震災孤児は8日時点で岩手、宮城、福島各県の計82人。阪神大震災の68人を上回った。

いずれかの親を亡くした子供の数は多過ぎて、把握し切れなていない。


MSN JAPAN SANKEI NEWS

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