4/25/2011

帰国封印生徒と歩む/ALTホン・ジーン・リューさん(27)福島県新地町

 

◎教室に笑い声取り戻す

小高い丘の上の尚英中で新学期が始まった。福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)から北に約50キロ離れた新地町唯一の中学校。校舎の1室は生徒の笑い声が絶えない。隣の席の生徒同士が向き合い、教科書の英文を読み合う。「もっと相手の目をよく見て」「元気良く声を出そうよ」。一人一人の顔をのぞき込んで、外国語指導助手(ALT)のホン・ジーン・リューさん(27)が語り掛ける。

カリフォルニア州出身の韓国系米国人。日本の文化に憧れ、2008年に東京都の大学へ留学した。「東京の人は優しく、居心地が良かった。でも、人が多過ぎてどこか冷たい感じもした」10年7月、ALTとなって暮らし始めた新地町は違った、という。食事や買い物など、慣れない土地での生活に何かと世話を焼いてくれる住民。「ハイ、ジーン」と気さくに声を掛けてくれる生徒。故郷の大都市ロサンゼルスにもない美しい自然。すぐに町が大好きになった。

3月11日は卒業式だった。生徒を送り出し、職員室で一息ついたその時、地震は襲ってきた。

「カリフォルニアも地震の多い州だけれど、今までに感じたことのない揺れだった。校舎の外に避難したら、近所の人たちが学校まで避難してきたんだ」校門の向こうには海が見えた。白くて巨大な何かが海岸線をのみ込んでいく。「あれが、ツナミ…」。言葉を失った。海から数百メートルの所にある自分のアパートが、波間に消えるのが見えた。生徒たちとの思い出の写真も、本も、パソコンも、全てが流された。

被災後は同僚の家や校内に寝泊まりしながら、生徒の安否確認をした。全員無事と分かって安心したのもつかの間、福島第1原発の爆発事故が起きた。難しい日本語の記事は読めず、事故の深刻さを知った時は発生から1週間近くたっていた。

米政府は事故後、在日米国人に原発から80キロ圏外への退避を勧告した。福島県内のALTも、放射能を恐れて母国に戻った人が少なくない。リューさんは、同僚の勧めで会津地方に一時避難した。やっと連絡が取れたカリフォルニアの両親は「早く戻ってきて」と電話口で懇願した。涙声。心が痛んだ。「でも、僕は新地に戻ることにした。町の人から受けた優しさを、まだ何も返していないから廃虚と化したアパートの自室で、パスポートだけは見つけた。両親には「放射線量は少ない。問題ない」と説いた。

新地町の犠牲者は24日までのまとめで92人。尚英中でも、家を流され、家族を失った生徒がいる。心の傷を抱えたまま、再開した学校生活。「生徒たちを元気づけるためにも、明るく楽しい授業を心掛けている」と言う。落ち込む生徒には、こんな言葉を贈る。「It’s always darkest before the dawn」(夜明け前が一番暗い)。今がつらくとも、必ず夜は明ける。前を向いて共に歩こう、と。

(加藤敦)

2011年04月25日月曜日

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