3/17/2011

震災犠牲者を数える、長くつらい作業

 

3月16日夜の時点では、日本の地震と津波による死者と行方不明者の数は、公式発表で1万2920人に上っている。しかし、多くの日本人がそう思っているように、実際の犠牲者数はもっと大きいと考えられる。

津波被害の大きかった宮城県では、犠牲者の数は同県だけでも数万人規模になるとみている。

公式発表と実際の数値との違いを生んでいるのは、岩手県大槌町のような場所だ。日本の太平洋岸にある同町では、地震前の人口は約1万5000人だった。

日本では、誰かが行方不明であるとの届け出があるまでは、その人は公式には行方不明であるとされない。11日の津波が地域全体を流し去ってしまったと考 えられている大槌町では、多くの場合、行方不明の届け出を出せる人がいない。同町では約5000人が避難した。公式には、大槌町の死者数は221人。7人 が行方不明とされているが、残る9000人がどの数にも入っていない。 

同様のことが、宮城県、岩手県、福島県の海岸沿いの町々で起こっている。宮城県南三陸町では、住宅のほとんどが押し流された。同町の生存者たちは、1万 7000人の住民のうち半数の行方が分からないと考えている。報道によると、岩手県の陸前高田市では2万3000人の人口のうち約半数がどの数にも入って いない。公式発表で106人が死亡、125人が行方不明とされている女川町では、津波前の人口1万人のうち、最終的には約半数の行方が分からないだろうと 住民は考えている。

だが、公式発表の数字も少しずつ増えている。16日の女川町でも同様だった。海岸沿いの町に、救助活動のため派遣された消防士たちは、金属の梁(はり)やケーブル、はがれたコンクリートなどのあいだを縫って作業を進めている。消防士が苦労して一歩踏み出そうとする間にも、湿った雪が彼らに降りかかる。

和歌山県から来た消防士は、がれきの山に長い金属の棒を押し込んで自動販売機を持ち上げた。

その下をのぞき込んで見ると、そこには遺体があった。

クリップボードと拡声器を持った別の消防士が、数十メートル先から尋ねた。「性別は?」

「女性です」。以前は酒屋だった場所に立ち、消防士は答えた。

「年齢は?」

「70代です」

ブルーシートを持った消防士が二人やってきて、遺体をシートで包んだ。遺体はそのままにして、発見した場所に赤いテープで印をつけた。

「いま運んだ方がいいのだが、その時間がない」と、消防士の一人が言う。「あとで別の消防隊が来て、運ぶことになっている」

これらの遺体は、警察が女川体育館の裏に設置した、行方不明者センターと遺体安置所に運ばれる。その壁には、遺体として発見された100人のリストがガムテープで張られている。

女川町役場によると、公式な行方不明者と行方が分からない人(どの数にも入っていない人)については、町としては死亡したとは考えたくないという。役場の衛星電話以外の通信手段が途絶えているため、町の人たちは自分が無事であることを伝えられないのかもしれない。

日本政府によると、災害の犠牲者の数については、いつも今回のように対応しているという。大まかな推計を出してのちに修正するのではなく、念入りに作成した正確な記録を公表するのだ。

「一人ひとりの命を尊重している」と、内閣副広報官の四方敬之氏は言う。「推計はあまりにもいい加減だ。そうしたやり方は行わない」

神戸の震災による死亡者数が6434人であると、最終的に記録されたのは2005年12月。震災から10年以上たっていた。神戸の人口が相対的に集中しており、崩壊した住宅の下から遺体が見つかることが多かったため、死亡した人の大半が1年以内に発見された。

今回の集計には、もっと時間がかかるだろう。行方が分からない人があまりにも多く、発見も難しいからだ。多くの犠牲者が津波で海に流されたが、彼らが海 岸まで流れ着いたときにその数が集計される。さらに作業を遅らせると思われるのは、多くの町村で役場そのものが破壊されていることだ。

女川町は宮城県の北側、深く入り組んだ、鋸歯(きょし)状の海岸線沿いにある小さな町だ。入り組んだ海岸線は、カキとサケの養殖場所として最適だ。広い 河口は豊かな水産資源をもたらすが、強い波も生じる。高い波を防ぐために堤防が設けられているが、それがあるために津波の海水が海に戻りにくくなってい る。その結果、町は水没したままで近づくことができない。

日本中から集まった消防士たちは、捜索活動を効率化するために同町を区分けしている。町の多くの場所に救助隊の手が届いておらず、波の破壊的な力を示す 証としてとどまっている。逆さになった車が、空っぽのオフィスビルにぶら下がっている。ケーブルや金属の破片の間では、自転車が折れ曲がっている。

生存者発見の望みが少ないことが、言葉のわずかなニュアンスに現れる。消防士たちは一般的に使われる「救助」という言葉の代わりに、「捜索」という言葉を使っていた。

救助隊が道なき道を行き、手つかずの場所を捜索するに連れ、集計される数――行方不明者も含め――は増えていく。地震の翌日、警察庁が発表した死者数は 1597人、行方不明者数は1481人だった。その翌日には、死者数は1897人に、行方不明者数は3002人になった。16日には死者数は4314人と なり、行方不明者数は8606人に急増した。

16日、女川の行方不明者センターでは、体育館に通じるドアに向かって二人の係員が台車を押していた。その背後には、青いシートに包まれた二つの遺体があった。二人の男性が遺体を中に運んだ。

体育館の外には、これまでに発見された遺体の特徴を示したリストが掲示されている。その一つには、こう書かれている。「白髪、黒のトレーナー、白いセーター。頭は東を向いており、うつぶせの状態。体の半分が2階のベランダからぶら下がっていた」

警察によると、こうした特徴が自分の家族に当てはまると思う人は、安置所内部に案内され、遺体を確認するという。

二人の男性が台車付きの担架を二つ運び入れたとき、女性が歩いて出てきた。男性が女性の肩を抱いて慰めていた。

知り合いの年長の女性を見つけると、彼女は泣きながら言った。「連絡あった?」

記者: Juro Osawa and Phred Dvorak and Daisuke Wakabayashi and Toko Sekiguchi  

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