3/14/2011

すべてを飲み込む津波1 (2011.3.11 岩手県 野田村 下安家地区)

 



浜風の吹くのどかな漁村が、未曾有の大津波にのみ込まれた。東日本大震災で約50人の死者、行方不明者を出し、岩手県北で最大の被災地となった野田村。地震発生から2日後の13日、数百戸の住宅が全壊した同村野田地区には他県からレスキュー隊や自衛隊が集結し、行方不明者の捜索に全力を挙げた。同地区の中心部にある村役場から海寄りの住宅地は〝焼け野原〟状態。メーンストリートは崩壊した家屋のがれきや自動車、土砂などで埋まり、住民らは変わり果てた村の姿を目の当たりにし、絶望感に打ちのめされていた。

11日午後3時半すぎ、村民の運命が変わった。村や住民らによると、襲来した津波は、高さ約8メートルの防潮堤を乗り越えた後、防潮林をなぎ倒し、国道45号を越えて一気に流れ込んだ。住宅を破壊しながら押し寄せる津波は、海から約1キロ離れている野田地区の中心部にまで到達した。
近くを流れる宇部川は、河口から野田橋までの約600メートルが家屋の残骸で埋め尽くされた。通りには泥まみれとなった車や家具も横たわり、村役場の玄関は車と家屋でふさがれた。全壊を免れた建物には、壁の高さ約3メートルの部分に津波の痕跡が残されていた。

村役場近くに住む無職大澤徹さん(74)は、自宅を出ると既に津波が間近まで押し寄せており、急いで村役場に避難した。「入り口を探しているうちに濁流に襲われ、腰まで水につかったが、塀にしがみついて何とか助かった」と恐怖の瞬間を振り返った。

村内では、学校や公民館など11カ所の避難所に約800人が身を寄せている。寺に避難した無職の男性(69)は自宅が全壊、兄が行方不明といい、「食料や毛布も足りず、心も体もぼろぼろ。早く落ち着ける場所に行きたい」とつぶやいた。

野田地区には、親類や友人の安否を確認するため、近隣の自治体から大勢の人々が駆け付けた。友達が行方不明と知り、久慈市から来た女性(72)は「こんな形でお別れなの…。たとえ、どんな形でもいいから会いたい」と涙をこぼしていた。

【写真説明】
津波によって跡形もなく破壊された野田村野田の住宅街=13日午後2時10分ごろ

http://www.47news.jp/news/

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